第53代横綱・琴櫻傑將の現役時代の軌跡と佐渡ヶ嶽部屋の系譜を徹底解剖
日本相撲界において、強靭な足腰と泥臭いまでの執念で土俵を沸かせ、のちに数多くの名力士を輩出した名伯楽としても知られる第53代横綱・琴櫻傑將(ことざくら まさかつ)。現役時代には昭和の大横綱の一角として数々の名勝負を繰り広げ、引退後も佐渡ヶ嶽部屋を率いて角界に絶大な影響力を残しました。さらに、その血統と四股名は、孫である現・琴櫻へと受け継がれ、令和の土俵で新たなドラマを紡いでいます。
本稿では、第53代横綱・琴櫻傑將の現役時代の輝かしい実績や無気力相撲の真相、数多くの名力士を育て上げた佐渡ヶ嶽部屋での指導歴、そして孫である現・琴櫻への四股名継承の深いドラマを徹底解説します。2026年現在の視点から、その不世出の足跡を紐解いていきましょう。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:鳥取県倉吉市出身の琴櫻傑將は、猛烈な突っ張り・寄り身と不屈の精神で第53代横綱に昇進した。
- 要点2:1972年3月場所の「無気力相撲」の警告をバネに奮起し、周囲の支えを得て悲願の横綱へと登り詰めた。
- 要点3:師匠として「七琴」と呼ばれる最大勢力を築き、孫である現・琴櫻へその四股名と魂が継承されている。
第53代横綱・琴櫻傑將の生涯と輝かしい土俵実績
琴櫻傑將は1940年11月26日、鳥取県東伯郡倉吉町(のちの鳥取県倉吉市)に生まれました。地元の期待を背負って佐渡ヶ嶽部屋に入門した彼は、卓越した体幹と圧倒的な下半身の強さを武器に着実に番付を駆け上がっていきます。立ち合いからの強烈なぶちかましと、土俵際で絶対に諦めない粘り強い取り口は「気迫の相撲」と称され、多くの相撲ファンの心を捉えて離しませんでした。
大関時代には怪我や不調に苦しむ時期もありましたが、そこからの這い上がりはまさに執念の二文字にふさわしいものでした。特に1972年11月場所で3度目の優勝を果たすと、続く1973年1月場所も14勝1敗の好成績で連覇を達成し、ついに第53代横綱の栄冠を掴み取りました。横綱昇進時の年齢は当時としても遅咲きであり、血のにじむような努力の結晶が実を結んだ瞬間でした。

歴史的波紋を呼んだ「無気力相撲」疑惑の真相
琴櫻のキャリアにおいて避けて通れないのが、1972年3月場所12日目に起きた「無気力相撲」を巡る騒動です。この日、大関・前の山との対戦で張り手を受け気絶・転がされた一番に対し、相撲競技監察委員会から警告が下されました。前日の貴ノ花戦では激しい攻防を見せていただけに、この判定は大きな波紋を呼びました。
しかし、本人は「自分の気持は休場するぐらいのものではない」と気丈に出場を続け、14日目には優勝争いの先頭を行く平幕の魁傑を強烈なぶちかましで一蹴。弟弟子の長谷川の優勝を後押しする「援護射撃」を果たしました。その後、相撲評論家の神風正一との対談や、生まれたばかりの我が子の存在を心の支えとして再び奮起。逆境を乗り越えて横綱へと昇り詰めたこのドラマチックな経緯こそが、彼の人間的な深みと精神力の強さを物語っています。
佐渡ヶ嶽部屋を一大勢力に押し上げた伝説の指導歴
現役引退後、佐渡ヶ嶽部屋の師匠に就任した琴櫻は、指導者としても圧倒的な手腕を発揮しました。当初は独立して「白玉部屋」を興す意向もあり、現役時代から内弟子を集めていたほどの情熱の持ち主でした。1990年代初頭には幕内力士7人を擁し、「七琴」「佐渡ヶ嶽軍団」と呼ばれて幕内の最大勢力を誇る黄金期を築き上げました。
下表は、琴櫻が育て上げた主な名力士たちの実績と系譜をまとめたものです。
| 四股名 | 最高位 | 主な実績・特記事項 |
|---|---|---|
| 琴風豪規 | 大関 | 内弟子として入門、幕内優勝を経験 |
| 琴富士孝也 | 関脇 | 幕内優勝を達成した実力派力士 |
| 琴錦功宗 | 関脇 | 技巧派として鳴らし、幕内優勝を果たす |
| 琴光喜啓司 | 大関 | 定年退職直前〜直後に昇進、幕内優勝経験 |
| 琴欧洲勝紀 | 大関 | 定年退職直後に昇進を果たしたヨーロッパ出身力士 |
このように、琴風豪規や琴富士孝也、琴錦功宗、琴光喜啓司、琴欧洲勝紀といった数々の幕内優勝力士や看板力士を輩出し、指導者としての実績は日本相撲界の歴史に深く刻まれています。2005年11月場所の千秋楽をもって定年退職を迎える際、部屋の継承規定に合わせて愛娘と結婚していた琴ノ若(初代)へ年寄・佐渡ヶ嶽を譲り、円熟のなかにバトンを渡しました。

孫・現「琴櫻」への四股名継承と血統のドラマ
琴櫻傑將の血統と魂は、時を超えて孫である現・琴櫻(初代琴ノ若の長男)へと継承されました。生前、祖父である琴櫻は、孫の将且が大関に昇進した暁には「琴櫻」の四股名を継がせてもよいと初代琴ノ若に伝えていたといいます。
その言葉通り、孫は2015年11月場所で「琴鎌谷」として初土俵を踏み、2019年7月場所での新十両昇進を機に「琴ノ若」を襲名。そして2024年3月場所で悲願の大関昇進を果たすと、同年5月場所より祖父のしこ名である「琴櫻」を正式に襲名しました。祖父から受け継いだ重みのある四股名を背負い、令和の土俵で躍動する姿は、多くの相撲ファンに感動を与え続けています。
【琴櫻傑將】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:琴櫻傑將の現役時代の最高位は何ですか?
A1:第53代横綱です。1973年1月場所に連覇を達成し、横綱昇進を果たしました。
Q2:1972年の「無気力相撲」の警告とはどのようなものですか?
A2:1972年3月場所12日目の前の山戦での一番を巡り、相撲競技監察委員会から警告を受けたものです。しかし本人はその後も奮起し、見事に逆境を跳ね返して横綱への道を切り開きました。
Q3:孫である現・琴櫻への四股名継承の経緯はどうなっていたのですか?
A3:生前、祖父である琴櫻が「大関昇進後であれば琴櫻の四股名を継がせてもよい」と伝えていた遺志を受け、孫である現・琴櫻が2024年5月場所より正式に襲名しました。

まとめ:昭和から令和へ受け継がれる不屈の相撲道
第53代横綱・琴櫻傑將は、現役時代の泥臭いまでの闘志と卓越した取り口で昭和の大相撲を支え、指導者としても「佐渡ヶ嶽部屋」を率いて数々の名力士を世に送り出しました。その厳しくも温かい指導哲学や相撲に対する真摯な姿勢は、師匠としての実績だけでなく、孫である現・琴櫻への四股名継承という形で現在にもしっかりと息づいています。
時代が移り変わっても、土俵に懸ける男たちのロマンと血統のドラマは色褪せることはありません。琴櫻傑將が遺した足跡は、これからの日本相撲界の未来を照らし続ける不滅の財産といえるでしょう。 (出典: 琴 櫻 傑 將(Yahoo!ニュース))